ソロモンの偽証 第Ⅱ部 決意(上)/宮部みゆき 新潮文庫
ソロモンの偽証 第Ⅱ部 決意(上)/宮部みゆき
2014/10/1初版、新潮文庫
「二人の同級生の死。マスコミによる偏向報道。当事者の生徒達を差し置いて、ただ事態の収束だけを目指す大人。結局、クラスメイトはなぜ死んだのか。なにもわからないままでは、あたし達は前に進めない。だったら、自分達で真相をつかもう―。そんな藤野涼子の思いが、周囲に仲間を生み出し、中学三年有志による「学校内裁判」開廷が決まる。求めるはただ一つ、柏木卓也の死の真実」。
3冊目にして、なんとなくこの小説との向き合い方が分かってきた。1970年代、いや、昭和50年代のエンターテインメント小説というものは、荒唐無稽な内容や、あまりにもキャラクターが濃すぎる登場人物、そして、時代考証を無視した作品を面白いと思って読んでいた。というか、小説やマンガというものは、それが当たり前だった。いつの頃からか、多分、1980年代の前半辺りから、リアルな、そして時代考証もしっかりとした作品が主流という流れになってきて、自分はそれに毒されてしまっていた。
面白くなってきた
この「ソロモンの偽証」を読んでいて違和感を感じていたのだが、それが3冊目にして分かった。小説の持つ雰囲気が古いのだ。古い小説から変化が生じ、今時のリアルな小説に移行する過渡期であった、ちょうどこの小説の舞台となったバブル期の時代の、今よりちょっと古めの小説といった感じ。昭和50年代の古いエンターテイメント小説から完全に抜け出してはいるものの、今時の小説までには洗練されていない、中途半端な立ち位置の小説。
「昔はキャラクター設定がひどく、一癖も二癖もある、とてもくどくて実際には存在しない登場人物ばかりの荒唐無稽なエンターテインメント小説ばかりだったなあ」。そう理解して、「中学生」というくくりを脇に置いて読み進めると、しっくり読める。今まで「時代考証が」「中学生が」「予定調和が」と、モヤモヤしながら読んでいたのが嘘のように。
地の文が、そのパートのメインである登場人物の視点に代わるのですが、その視点が作者というか小説自身というか、登場人物とは違う第三者になったりして統一されていないのが相変わらず気になりますが、やっと面白くなってきた(^^)。

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